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大阪高等裁判所 昭和37年(ネ)181号 判決 1963年5月14日

控訴人 被告 生野税務署長

訴訟代理人 山田二郎 外五名

被控訴人 原由子こと梁秤石

訴訟代理人 広瀬長喜

主文

原判決を取り消す。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

事実

控訴指定代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、次に記載するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

被控訴代理人の主張

第一位的に本件贈与税決定処分の取消しを求め、予備的にその無効確認を求める。被控訴人の自宅にはなんの表札もなかつたことは控訴人主張のとおりであるが、厚生産業株式会社との距離は二間ではない被控訴人は訴外宮城健男に郵便物の代理受領権を与えたことはない。

控訴指定代理人の主張

本件贈与税決定処分をした日時は昭和三四年三月三一日である。当初の送達不能となつた決定通知書及び納税告知書の日付も同日付であつた。その他本件贈与税の課税経過とその送達の状況、本件贈与税決定の根基、ならびに本件贈与税に関する滞納処分の経過とその送達の状況は別紙昭和三七年七月六日付第三準備書面記載のとおりである。生野区北生野町五丁目六四番地には厚生産業株式会社の表札は掲げられていたがその隣りか一軒おいて隣りの当時の被控訴人の自宅との間の距離はわずか二間(一二尺)であり右自宅にはなんの表札も掲げられていなかつた。

証拠関係は、控訴指定代理人が乙第四、五号証の各一、二を提出し、被控訴代理人が各その成立を認めたと述べたほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

控訴人が被控訴人に対し昭和三一年分贈与税決定処分をしたことは当事者間に争いがなく、右処分の日時は昭和三四年三月三一日、その内容は贈与財産価額一、九九六、五〇〇円課税価格一、八九六、五〇〇円、贈与税額四八三、九五〇円、無申告加算税額一二〇、七五〇円とするものであることは被控訴人の明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなす。被控訴人は本訴において右決定処分には違法無効の事由があるとしてその取消し、もしくは無効確認を求めるものである(原判決の主文ならびに請求の趣旨の記載には昭和三四年五月一九日に決定処分がなされたかのごとき表示があるが、右日時は後述の本件決定処分の第二次通知書の日付である。また、本件は行政処分たる決定処分でなく、その処分の通知という準法律的行政行為の取消しもしくは無効確認を求めるものでないことは訴状ならびに被控訴人が原審に提出した昭和三六年一月二〇日付準備書面の記載に照らし明らかである。なお控訴人が原審に提出した昭和三四年八月二一日付準備書面には、昭和三四年三月三一日のほかに昭和三四年五月一九日にも本件決定処分をしたかのごとき主張があるが、この主張は当審において撤回された、もし昭和三四年五月一九日にも決定処分をしたとすればそれは明らかな二重処分として無効たるを免れないが、被控訴人としては、本件決定処分が適法有効であるかぎり、第二次の決定処分のみを問題にしたとて訴えの実質的目的は達成しえないわけである)。そして被控訴人は第一位に決定処分の取消しを予備的にその無効確認を求める旨を明らかにした。ところで、原判決は、取消しの訴えにはふれることなく、無効確認を宣言し、これに被控訴人から控訴の申立てがあつたのであるから、まず、原判決の説示するがごとき無効事由の存否から判断をすすめる。

およそ申告納税制度のもとにおける贈与税の決定処分は、本来その納税義務は納税義務者が贈与により財産を取得したときに発生しているものであるにかかわらず、納税義務者の自主的申告がないときに、租税負担の公平をはたるためのやむをえない措置として、税務署長がその調査したところに基づいて行なう租税債務の内容の具体的確定処分たる一の行政処分である。この処分をしたときは、その処分の性質上税務署長は、手続として納税義務者に書面によりこれを通知しなければならない(相続税法第三六条)。すなわち、右通知は口頭の通知では足らず、必ず様式として書面(決定通知書)をもつてなされることを要する準法律行為的行政行為であり、決定通知書の送達によつて初めて行政処分である決定処分の効力が発生する。したがつて決定通知書の送達がいまだ全然なされていない状態にあるときは決定処分は効力発生の要件手続の欠缺のゆえに、無効といわなければならない。しかし、通知書の送達が全然なされなかつたのではなく、送達はなされるにはなされたが、その送達の方法手続等にかしがあるにとどまる場合のごときにおいては、決定処分の効力の発生要件は充足されたものというべく、送達のかしが重大明白でないかぎりその効力の発生存続には影響がないものと解するのが相当である(昭和三四年九月二二日最高裁判所第三小法廷判決参照)。しかして昭和三七年四月二日法律第六四号国税通則法は国税に関する書類の送達について第一二条ないし第一四条に一般的規定を設けたからその施行後はこれによることを要するが、その施行前においては贈与税決定通知書の送達について一定の方式に従うことを要求する規定は存しなかつたから、適宜な相当と認められる方法によることをうべく、しかも、一般に行政上の書類の送達には受送達者が、必ずしも現実にその書類を受領し了知することを要するものではなく、その内容を了知しうる状態におけば足るものと解すべきである。したがつて、受送達者本人ではなく、本人の同居者、使用人、その他本人と一定の関係があつてその者が送達書類を受領すれば遅怠なく受送達者本人に到達することが期待できる者が受領することによつて、送達は完成し、その後においてその書類が紛失したとしても、書面通知を要する行政処分の違法無効を惹起することはないものといわなければならない。

ところで本件についてみるに、本件贈与税決定処分について被控訴人を受送達者とし、大阪市生野区北生野町五丁目六四番地厚生産業株式会社を送達場所として昭和三四年五月一九日付決定通知書が郵送されたこと、翌二〇日同社従業員訴外宮城健男がこれを受領したことは当事者間に争いがない。したがつて本件は決定通知書の送達が全然なされていない場合に属せず、右送達場所が正当か否か、訴外宮城健男に代人としての受領権限があつたか否か、すなわち同人の受領により被控訴人に対する送達は完成したといいうるか否かという送達のかしの有無が問題とされるべきものであるところ、被控訴人においては送達のかしの重大明白性について具体的に主張するころがなく、立証の責もつくさない。のみならず、かえつて成立に争いのない甲第一号証の一、二、乙第二ないし五号証の各一、二、原審での証人宮城健男の証言によつて成立を認めうる甲第二号証、公文書であるから真正に成立したと認むべき乙第一号証の一、二に原審での証人宮城健男、松岡清の各証言、原審での被控訴本人の供述に弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。すなわち、被控訴人は夫である原清明こと夫用均とともに昭和二一年以来昭和三四年五月一八日本訴提起に至るまで大阪市生野区北生野町五丁目六四番地に居住していた(以下これを被控訴人の自宅と呼称する)。登記簿上の住所も同番地であり、登録証明書にも、右自宅において世帯主である夫とともに居住の旨の記載がなされている。被控訴人が右自宅の極く近所である同所六三番地所在の夫所有家屋に居住する被控訴人の親族方に夫とはなれて別居するに至つたのは本訴提記後(日不詳)のことである。右被控訴人の自宅にはその当時には被控訴人の住所であることを表示するなんらの表札も掲げられておらず郵便受も設置されていなかつた。被控訴人の自宅の西隣りに同番地厚生産業株式会社がある。同会社は被控訴人の夫が経営主宰する化粧品等の販売を目的とする会社であるが、被控訴人は右会社の仕事に関係したことはなかつた。会社の建物は二階建てで、一階は事務室、二階は倉庫になつており宮城健男ら従業員八名は一階で事務を執つていた。被控訴人の娘(高校生)と孫二人(小学生)は会社の二階の倉庫の横に寝泊りし、食事は右被控訴人の自宅で取つていた。被控訴人は文盲であり、被控訴人宛ての郵便物は数多くはなかつたが、従前から、時たま被控訴人宛ての郵便物は会社に送達されることがあり、その場合には会社従業員の宮城が受け取つていた。これに対し被控訴人は異議を述べたことはなかつた。本件贈与税の課税について生野税務署の職員は昭和三二年一二月生野区北生野町五丁目六四番地の被控訴人宛ての呼出状を普通郵便で発送したところ、被控訴人は厚生産業株式会社の従業員(氏名不詳)や訴外松岡清を代理人として出頭させていた。控訴人は昭和三四年三月三一日本件贈与税決定処分をなし、決定通知書および納税告知書を生野区北生野町五丁目六四番地原由子こと梁秤石宛に普通郵便で発送したところ送達不能となり返送された。控訴人は決定通知書の送達ができていないのに昭和三四年五月一一日前同所の被控訴人宛てに督促状を発送したところこれは被控訴人に到達した。控訴人は昭和三四年五月一九日本件贈与税決定通知書および納税告知書を書留郵便で前記厚生産業株式会社内原由子こと梁秤石宛てに発送した。訴外宮城健男は翌二〇日同会社内においてこれを受領し、その際、同会社の代表者たる被控訴人の夫が取引関係の郵便物の受領用に使用するために同社の事務室に置いていた「原」の認印を使用して受領印を押捺した。宮城は右決定通知書をその後紛失して被控訴人に迷惑を掛けたとして被控訴人に対し謝罪の意を表する昭和三四年八月一六日付覚書を差し入れた。

以上の認定事実によれば、被控訴人宛ての郵便物は、従来から、被控訴人の自宅には被控訴人の自宅であることの表札も郵便受もないところから、被控訴人の自宅の東隣りであつて同番地にある夫の会社に配達されその従業員訴外宮城健男がこれを受領し、同訴外人が受領したときは確実円滑に被控訴人に届いており、これについて関係者間になんらの紛議の生じたことはなかつたのであるから、被控訴人は同訴外人に対し郵便物の代理受領の権限を附与していたものと認めるのが相当である。

そうすると前段説明に照らし、本件決定通知書の送達は適法有効になされ、この点において本件決定処分には違法無効のかしは存しないものと判断するのを至当とする。

してみると、本件贈与税決定処分は効力を発生していないと判断した原判決は不当であるというべきである。そして被控訴人は本件贈与の事実は不存在であるとする無効事由についてはいまだその明白性と具体性を主張するところはないが、なお弁論をなさしめるのが相当であるし、処分取消しの訴えについては、本件は行政事件訴訟特例法第二条但書の正当事由があると認められるか否か、およびなおこれが肯定されるとすればさらに事件の実体について、弁論をなさしめる必要がある。

よつて、民事訴訟法第三八六条、第三八九条、第三八八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長判事 平峯隆 判事 大江健次郎 判事 北後陽三)

第三準備書面

一、本件贈与税に関する課税の経過および送達の状況について、

(1)  本件贈与税の課税は当初住吉税務署より送付せられた贈与税資料せんに基づき生野税務署長資産税係が調査を始めたもので、同係は被控訴人の昭和三一年分贈与税を調査するため昭和三二年一二月初めに右資料せんに記載された生野区北生野五丁目六四番地梁秤石あて呼出状(普通郵便)を発送したところ、同月四日厚生産業株式会社事務員と称する者(氏名不詳)が右呼出状を持参し被控訴人の代理として出署した。そして、右事務員は担当者(資産税係員植芝秀夫)と面接したが、事情不明のため社長(被控訴人の夫)原清明こと夫用均に伝える旨申述べた。

(2)  その後同月中に、担当者より数回電話により被控訴人または夫の出署方を伝えたが応じないため、担当者は同月中旬被控訴人の住所(生野区北生野五丁目六四番地)におもむいたところ、被控訴人および夫は在宅していたが、仕事中のためとの理由で話合に応じなかつた。

しかし、その際、被控訴人は担当者に後日出署することを約した。

(3)  同月下旬夫用均と松岡清が同行して出署したので、担当者は両名と面接し、本件土地および家屋の取得の事情につき聴取し、また、その申立事実について証拠の提出を求めた(前述したように被控訴人が何回も担当者と交渉していることは、被控訴人の昭和三五年一一月二六日付準備書面第三項記載のとおりであり、当事者間に争いがない)。

(4)  しかるに、翌昭和三三年三月に至つても前記証拠の提出がなく、再度の呼出にも応じなかつたので、控訴人はその調査に基づき、被控訴人に昭和三一年分贈与税の納税義務があるものと認定(認定の根基は後述する)し、贈与財産価額一、九九六、五〇〇円、課税価格一、八九六、五〇〇円、贈与税額四八三、九五〇円、無申告加産税額一二〇、七五〇円とする昭和三一年分贈与税の決定をなし、決定通知書および納税告知書を生野区北生野五丁目六四番地原由子こと梁秤石あて発送(通常の取扱どおり普通郵便による)した。ところが、右決定通知書等は送達不能となり、控訴人に返送されてきた。

(5)  その後、控訴人は決定通知書が送達できていないにかかわらず、同年五月一一日誤つて被控訴人あて督促状を発送した(あて先は、右決定通知書と同一。甲第一号証参照)。この督促状は被控訴人に到達したので、同月一三日頃夫用均と松岡清が同行して出署し、督促状につき口頭で異議を申立てた。

(6)  前述したように決定通知書等の送達ができなかつたのに同一住所宛の督促状の送達ができたので、控訴人は再度被控訴人の住所を確認し、また昭和三四年五月一六日付で右場所が被控訴人の住所であると表示されている本件訴状が裁判所へ提出されていることをも参考にし、同月一九日改めて贈与税決定通知書および納税告知書を書留郵便で被控訴人(生野区北生野五丁目六四番地厚生産業株式会社内原由子こと梁秤石)あて発送した。そして、右決定通知書は同月二〇日被控訴人の代理受領権限者ないしその同居人である宮城健男に送達された(乙第一、第二号証の各一、二参照)。

(7)  なお、本件課税決定が昭和三四年八月一六日に効力を生じたことについては少くとも当事者間に争いがなく(被控訴人の昭和三四年八月二一日付準備書面第一項参照)、また、控訴人は被控訴人に対し、本件課税決定の内容を昭和三六年一〇月六日頃に第二準備書面によつて通知し、被控訴人自身がこれを了知していたことはその同年一二月一五日付準備書面記載のとおり明らかであるから、おそくとも右昭和三四年八月一六日また昭和三六年一二月一五日に被控訴人に本件課税決定の通知があつたということができる。

二、本件贈与税決定の根基について

大阪市阿倍野区天王寺町南二丁目七二ノ一番地宅地四七坪八四および同地上家屋木造瓦葺二階建延四七坪九〇(本件物件)について、昭和三一年五月二〇日売買を原因として同月三一日付で松岡清より梁秤石に所有権移転登記が経由されている。

ところで、松岡清の申立によると、本件物件は昭和二八年頃、被控訴人が取得したものを松岡名義を使用して登記および登録をなしていたものであり、昭和三一年五月に至つて真実の所有者名義に返すために同月三一日付で所有権移転登記をしたというのであるが、当時被控訴人は無職、無収入で資産を所持していたとはとうてい認められず、従つて本件物件の売買代金を支払つた事実もないのに対して、その夫の夫用均は昭和二九年三月末まで石けん等の製造販売を業として相当の所得(昭和二七年分所得九〇〇、〇〇〇円、昭和二八年分所得九五〇、〇〇〇円とする所得税申告が提出されている)があり、また、同年四月一日厚生産業株式会社を住所地生野区北生野五丁目六四番地に設立して社長となり、引続き相当額の収入のあつたことが認められた。

それで、控訴人は、本件物件について、夫用均が昭和二八年に取得して松岡清名義を使用していたのを、昭和三一年五月妻の被控訴人名義に所有権移転登記した頃(乙第三号証の一 、二参照)、夫用均より被控訴人に贈与したものと認定したのである。

三、本件贈与税に関する滞納処分の経過および送達の状況について

(1)  前記第一項記載のとおり、控訴人は昭和三四年三月三一日贈与税決定通知書と同封して納税告知書を被控訴人あて発送し、同年五月一一日督促状を発送した。しかし、この納税告知書は送達不能のため返送され、督促状は効力のないものであつたので、控訴人は同年五月一九日改めて贈与税決定通知書に同封して納税告知書を被控訴人あて発送し、これ等は翌二〇日被控訴人に到達した。

なお、右通知と同時に右五月一一日付督促状の無効であることを確認する意味で、これを取消す旨を通知した。

(2)  右五月一九日に決定した贈与税につき納税がないため、控訴人は同年七月一〇日督促状を発送(生野区北生野五丁目六四番地厚生産業株式会社内原由子こと梁秤石あて)し、更に、同年七月二三日本件贈与税の連帯納付義務者夫用均に納付通知書を発送(生野区北生野五丁目六四番地原清明こと夫用均あて)した。

(3)  控訴人は、昭和三四年八月五日本件贈与税の滞納処分として連帯納付義務者である夫用均の所有する宅地六筆、家屋三筆を差押、同月八日右着押登記を経由した。

しかし、右滞納処分は、本件訴訟が提起されているので、実務上の通常の取扱いに従い、差押の段階にとゞめている。

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